幻想のいろんなシーンで

聖霊を信頼していないことがわかる

 

近所で週2勤務でOKの介護施設

見つけて気になっていて、

聖霊からのサインか尋ねていた。

 

ホテルの上司に介護施設

求人に応募したい旨を伝えたら

快諾をしてくれたので

介護施設の求人に

エントリーするために派遣登録した。

 

その施設長に連絡を取ってみますと

派遣の人に言われてから5日経つけれど

何も連絡がない。

 

どうなりましたか?

どうなっていますか?と

催促したい誘惑がチラチラ来る。

 

 

それで、

派遣登録したときに

介護施設に未経験で応募する

動機について聞かれたときも

答えている途中で何かが

込み上げて泣いてしまい、

それが影響してしまったのかなとか

疑いが出る。

 

疑いがよく出る。

 

今の献身チームでさえ

実は愛されていないという

証明をされるために配置されてる

のではないかとか。

途中で放り出されるみたいなこと。

 

そんなことを祥子ちゃんに

話していたら、

例えそうだとしても構わず

神を愛しているからと理由だけで

自分を捧げるんだよと言う。

 

そうか。

 

それなら、私の中にはまだ

あなたが愛してくれたら

私は愛します。という条件

付けがあることを感じた。

 

 

尽くして

尽くして

捨てられて

 

貢いで

貢いで

捨てられて

 

 

パーソンレベルで

そういうことをしている人たちに

軽蔑の想いがある。

何やってんだよって。

 

 

でも

愛してくれたら愛す、と

いうのと

例え捨てられても

愛してるんだもん。と

自分を投げ打ってるのと

どちらが幸せかと自問すると

後者だよね、という答えは

すぐ出る。