三崎口リトリート中、

港で獲れる新鮮な魚や

サーモンの刺身を買う予定だったのが

魚屋にサーモンは置いてなかった、と

調達チームから報告があった。

 

その後、仲間達とおにぎりタイムの時に

「よく考えたら三崎口で鮭は

獲れないもんね。三崎口サーモンなんて

聞いたことないし」と少し笑い話になった。

 

その話をして以降リトリート中、頻繁に

たくさんの鮭が川を上流に向かって

泳いでいるイメージが浮かんだ。

 

下流から上流に向かって

生まれ故郷に帰ろうとしている私たちの

姿の象徴なのかなと思った。

 

下流(結果)の世界で

「これのせいで私は不幸だ」と

留まり続けるのは終わり、

上流(真の原因、願望)まで妥協なく

戻るんだよという聖霊からのメッセージ

とも感じた。

 

三崎口リトリートから帰ってきて

昨日カースティンの本をパッと開いたところを

読んだ。

(「とある神秘家との結婚」)

p286

『私たちは上流へ向かう鮭のようでした。

進み続けるためには、前方へ上方へと

跳ね上がらなくてはならない場面が何度もありました・・・』

 

!!!!!!!!!!

なんていうシンクロ・・・・!

驚いて、またありがたく感じた。

 

聖霊はいろんなところにサインを

散りばめてくれているんだね。

きっと私が気が付かずに

(無意識の「気が付きたくない」も手伝って)

通り過ぎてしまっていることも

たくさんあるんだろう。

 

カースティンのそのエピソードの締めは

「私にできる唯一のことは、この過程に

身を委ね、軽やかに、そして自由に、

いつか太陽の光の中に、また現れ出るときが

来ると信頼することだけでした。」

 

 

私も信頼していきます。

 

 

聖霊、カースティン、マイティコンパニオン達

ありがとうございます。