まず分離の欲望がある

前の記事を読み直して

 

ハズされる

 

呼ばれない、という

 

表現を使っているあたり

 

被害者意識を握りしめたまま

 

献身しようとしているのが

 

よく見える。

 

私は罪人だから

 

日頃の想いや行いによって

 

聖霊からハズされることがあり得る

 

という想念。

 

私の心が何らかの不良で

 

準備できていないから、

 

改善されてないから聖霊から

 

呼ばれないことがあり得るという想念。

 

献身さえも、私が聖霊から

 

愛されているかどうかの

 

バロメーターにしようとしている。

 

それはもはや献身ではなくて

 

ただの構ってちゃんだ。

 

欠乏から、役に立ちたいと

 

言っているのと同じだ。

 

そして、私がダメなんですよねと

 

暗に聖霊

 

そうやって私を愛したり

 

愛さなかったりする存在なんだと

 

攻撃している。

 

私が先に攻撃している。

 

私を捨てているのなら、

 

自分は神の鉛筆であることに

 

身を捧げているのなら、

 

呼ばれなかった、だの

 

ハズされたなどの

 

判断になるはずがないから。

 

そういう気持ちのとき、

 

全体のひとつの心を

 

分裂させている。

 

一致させていない。

 

そして、肉体同士が

 

同じ場所に寄り集まって、

 

心をひとつにして

 

何かを一緒にすること、

 

その場所に自分が居合わせて

 

いることが重要なんだと

 

信じている。

 

そこにいなければ

 

何かが欠けるんだろうか?

 

分離するんだろうか?

 

同じ場にいなければ

 

心を一致させられない? 

 

蚊帳の外?

 

ほんとに?

 

自分が先に捨ててるんじゃ

 

ないの?

 

欠けていたり、分離してると

 

したら、それは自分の心が

 

そういうことにする!と

 

決断した以外にそれは

 

起きるんだろうか?

 

愛されてない、

 

悲しい。

 

その泣き叫びはわかるけれど、

 

それより先にやっぱり

 

分離を先に望み、

 

そういうことにするんだ!という

 

自分の欲望がある。

 

そして、その結果を

 

自分で裁く。

 

裁きの沼の中で自分を

 

沈めておきたい。

 

それはもう快楽の域。

 

私はそれを本当にやめたい。

 

聖霊が望んでいるのは

 

私の心が癒されることなのだから

 

それに素直になりたい。

 

私の心が癒されるために

 

自分の誤った信念を直視して

 

手放すことができるように

 

全てのことが完璧に

 

起きていることを信頼したい。

 

聖霊、どうか教えてください。

 

私は本当に素直になりたいです。

 

いつも有難うございます。