2月から(だったと思うけど)

得体の知れない強い恐怖を感じる。

自分を失うことへの怯えみたいな。

 

2月の生配信ですごく防衛的な

自分が出たのをきっかけに

のりこさんからムージの「トルココーヒー」の

動画を観せてもらった時、

私の中で自我の「緊急事態」が

起きてるんだなって腑に落ちる感じがした。

そのまま抵抗しないで

自分を失うことを歓迎して

緊急事態のサイレンがなる中

そのまま聖霊と落ちていけばいい、と

言葉をもらった時は「そうしたい」と

思ったけれど、頭はぼーっと

してるような感じだったかもしれない。

 

2月、ファンクションがスムーズに

いかないということが複数回起きたり

合宿中もCTをなんとかついていって

行為的にこなしていってる感じが強かったし、

ああ、ミスったって、一致感や感謝とか

ほとんど感じにくかった。

うまくいっているように見えるけんたさんや

じゅんちゃんに嫉妬することを正当化したくて

たまらなかった。

 

それ経て、3月になって

のりこさんから「ファンクションを

感情抑圧に使う傾向が出てるから

3月はCTをお休みして料理ファンクションを」

という話が出た時、諦めというか最初はホッした。

 

でも、その後ヒタヒタ

無価値感がやってきて

けんたさんやじゅんちゃんに

また激しく投影が向かった時

あまりにも爆発したので

その投影を自分の方へ取り戻してみたら

自己憎悪と自分の罪深さしかなくて

その苦痛に悶絶した。

みぞおちがぎりぎりして止まらない。

 

こんな耐え難い苦痛を持ってたら

そりゃ外側に投影してマシにして

散らしたい。

 

でも、この「私には罪しかない。

罪深すぎて、いたたまれない」にしか

原因がない。

死ぬほど深刻に信じてる。

彼らに原因がないってはっきりわかる。

 

前の記事で「私はダメだ祭りを

やりたがってるんだね〜」と

笑い話のように話して

これをいつも思い出せばいいんだと

思っていたけれど

根っこから本当に癒されないと

そういう比喩を使って一時的に

楽になっても、いとも簡単にメッキが

剥がれて役に立たない。

 

まじで笑えなくて、大泣きした。

 

ねじれてちぎれてしまうような

真っ黒な罪深さを信じてる心が

めくれてあらわになってしまったら

これのケアしかすることがないって

心底うなだれる。

 

自分には到底微塵もなす術がないし

聖霊に「これが間違いだったと

どうか本当に教えてください」と

すがるしかない。

 

これを直視したくなくて

ファンクションを一生懸命していたし、

「いつか聖霊にサクサク従える

良い実践者になれば、これを見ないで

済む」くらい思っていたんだと思う。

 

生活の全てが「それを認めないため」

だった。

 

何に対しても、全く勝ち目がない。。

ただひたすら自分の中の無限地獄を

隠したかっただけだった。

そこがなにもかもの発祥の地。

 

この無限地獄みたいな罪深いという

自分の思い込みを本当に癒したい。

そのために人生の時間を使いたい。

 

のりこさんから「それをなんとかしようと

したり、薄めたり、マシにしよう、

変えようとしなければ、聖霊

洗い流してくれる」と言われたので

それに専念したい。もう押しのけたくない。

ここに取り掛かりたくなくて

ずっと気を散らしてた。

 

そういう不安定な中でも

与えられる料理ファンクションは

ありがたくて、えばちゃんや沖縄の

しょうこちゃんと繋がってミーティングする

時間に救われているような感じがしてる。

 

昨晩、合宿前の最後になるミーティングを

した後から、方向感覚が薄くなって感じる不安、

呼吸が浅くなったり、震えてるけど

なにか自分を再確立させようみたいな

力みをしないで

このまま聖霊にすがってただ助けを求めたい。

それしか本当にどうやらできないらしい。

何が起きるかわからないけれど、

荒れたりするかも知れないけど、

降参していきたい。

もうそれ以外無理らしい。