自分を捨てきれないからなんだろう。

長野やその後の三崎口のことを

つぶさに見ていくのが辛い。

ナイフを内臓まで突き立てられる

ような痛みを感じる。

 

1月勉強会の自分のシェアを

聞いてると、

のりこさんが私の痛いところに

触れようとしたり触れると

私は頻繁に笑いだしてるんだけど、

これはいつも出る防衛反応だなと

思う。

自分が崩壊してしまわないように

笑いを使うことで散らそうとしてる。

泣き叫びなんだけれど、思わず

そこで笑うのもうやめなよ、と

突っ込まずにいられない。

中途半端に首の皮一枚繋げようと

強がろうする癖を手放したい。

かえって惨めだ。

ダメダメのまま落ちていくほうを

選びたい。

 

長野や三崎口での自分の振る舞いを

「ひどかった」と一言でまとめて、

12月のことを見ないで

踏み倒して風化させてしまいたいと

訴えている部分があるけれど、

それじゃあまりに不誠実過ぎる。

 

どうか、聖霊、一緒に見てください。

どうか私がごまかしたり、

薄めたりしないで、ありのまま

見ることができるように助けて

ください。