5/11日 は、とても感謝に満ちて、

楽しくて、気持ちが良かった。

 

きっかけは、上司から横浜観光することを

勧められて、最初は全く気乗り

しなかったのだけど、ガイダンスなのかな

と思う節もあり、従った。

 

聖霊から急遽、マイティコンパニオンを

送り込まれたり、普段ならしないような

想定外のサプライズに導かれて、

嬉しさと喜びを感じた。

そして聖霊から歓迎されてるのを感じた。

 

Jさんと夜景を見ながら過ごした時間。

素晴らしくて、全てが完璧に感じて、

なんとなく、またここに一人でもいいから

来たいなと思った。

 

あれから2週間経ち、金曜あたりから

インスピレーション?

声みたいなものが繰り返し、

「風にあたった方がいいよ」

「外の空気を吸った方がいいよ」

と何度も来てるような気がしたので

行くならあの場所しかないような

気がして、夕方に家を出て向かった。

 

到着し、この前と同じ

ルートを歩くけれど、

 

まぁ〜、、、、

なんという味気なさ。

 

夜景。

 

確かに綺麗なんだけど。

 

 

コース知らなかったら 

隣に誰かいないせいだとか

ああ、やっぱり誰と一緒に

過ごすかが大事なんだと

結論づけるところだ。

 

 

この寂寥感は、人や出来事と全く関係ない。

 

けど、私は自分を満たしてくれる

素敵な兄弟たちが必要だと信じている

らしい。欲しまくってる。

聖霊も兄弟も両方とも要ると

言っている自我の声が聞こえる。

 

聖霊は24時間、片時も離れず、

いつも傍にいるし、私自身が

青い鳥そのものなのだから、

 

ということは、やっぱり

わたしが「幸せにはなりせん!

受け入れません!」と

やってるだけなんだな。。

 

 

突然

花火が上がった。

周りから歓声が聞こえるけれど

私はほとんど感情が動かず

能面のようだった。

 

だけど、動画はなぜか撮った。

 

フランセスの動画で

自分に正直であるべきで、

神の平安が欲しいが、

それが与えられるような

ことはしたくありませんと

言うなら、いっそ神の平安を

求めていないと認めた方が 

葛藤がなくなります、と

言っていた話。

 

私は完全には認め切っていなかった様な

気がする。

 

その次の朝、撮った動画を見ていたら  

白い玉みたいなのが飛んでることに

気づいた。

リトリートでのりこさん家でも

たまに映るのと同じような。

 

見守られてることの象徴なんだろうな。

花火も祝福の象徴だと思う。

 

本当に問題があるのは

受取手だけだと思う。

 

愛の中にどっぷり浸かっているのに

それを感じないようにするために

エネルギーを使い果たしてる。

 

素直になりたい。

つまらないプライドなど

脱ぎ棄ててしまいたい。