嫉妬

 

これまでのコース実践の中では

浮上してこなかったものが

Xとの付き合いで出てきている。

 

嫉妬。

 

今まで見えてきた嫉妬はコース仲間に

対する「あの兄弟の方が進んでいる。

自分は劣っている」という種類のもの。

これは馴染み深く、直視することにも

慣れていた。

 

けど、Xに対する嫉妬はいわゆる

男女の特別な関係にある独占欲

みたいなもので、私はこれに

全く慣れてない上、直視するのが

とても嫌だった。

 

主人に対してはなぜか私は嫉妬や

独占欲をあまり感じたことがない。

 

Xとのやりとりで嫉妬が吹き出し

くると、ワタシがその感情から

逃げ回ろうとしているのがよく

見えた。

 

見たくない。見たくない。

 

その動揺ときたら、嫉妬というものは

ワタシにとっては、ただの思考ではなく

なんだか手に負えないものだと解釈

しているようだった。

それに向き合うことは、顔から

火が出るような恥、処刑のように

感じると訴えている。

 

そして、Xに私が嫉妬していることを

悟られたらおしまいだとも訴えている。

それは敗北を意味するから。

 

一度、情けないくらいに激しく

嫉妬の感情が湧いて、それを

そのまま声が出るまま泣かせて

あげたら、

 

ひとしきり泣いた後

ああ、これは彼に対してじゃなくて

私の神に対する恋しい気持ち

なんだと。。

 

私は本当に自分が迷子になったと

信じているんだな。。

 

でも、肝心なことはここで

私が先に神を追い出したと

いうことなんだ。。

 

神から私は特別に愛されたかった。

その願望が不幸そのものなんだ。。

神は応えなかった。

そして、私はそれに逆恨みして

神を追い出した。

 

私はXとの付き合いで

自分がどれだけ賜物をほしがって

いるのかが、より一層見えてきて

いる。

 

自我の叫びは

私以外を愛することを許さない。

そして、それが正しいと信じてる。

 

“私だけ愛されたい”

“お前が愛さないなら私も愛さない”

 

その訴えはなんて寂しくて不幸なんだろう。

 

私は真の幸せ,

誰ひとり欠けていない全一性の愛以外に

目を向けたくない。

神だけを求めたいです。

 

本当にそれを望みます。