憧れへの諦め

私にとって

ユッタとニコラスの夫婦関係は

憧れの象徴だったと思う。

 

ユッタ、スザンナと

一緒に食事できる機会が与えられて

ふたりにコミュニティ内の結婚生活とは

どんなものなのか質問した。

 

彼女達は

このコミュニティで

パートナーシップを持つと

いろいろなことがイージー

なると教えてくれた

 

でも、このコミュニティの

みんなと結婚しているような

ものね、、とも話していた

 

私の反応から何か

察したみたいで

「今、私とニコラスは

夫婦じゃないのよ」と

聞かされて驚いた

 

ノーピーポープリージングは

相手を怒らせない訳には

いかないからね、と

ユッタが続ける

 

聴いてるうちに

私の中で

何かがシュルシュルと

小さくなっていくのを感じた

 

そして、映画の中の

スザンナのパートナーシップを観て

喪失感があった

 

「個人的な人間関係を霊性化しようと

しても失敗は完全に保証されています」

 

デイビッドの言葉が思い出される

 

幻想の中に自分の理想を

求めたり、再現化したい欲望への

諦め

 

この幻想の中で

相手が誰で

コース実践者だろうが

関心を自分に引きつけ

続けることは不可能だという事実

 

何よりそれによって

自分を満たすなんて全く足りないこと

 

神に奉仕する目的のみで

繋がる関係性でしか癒されない

 

憧れはまるでイチゴジャムのような

甘ったるさと粘着性があったの

だけど、今は灰色になっている

 

灰色

 

だけど、楽になったかもしれない