容姿をマシにしようとすることへの諦め

女性として美しくあろうと

することを諦めなさい

という聖霊の声が何度もすると

勉強会でシェアした翌日

めがねで出勤した

 

今までなら絶対あり得ないこと

レンズ歴20年になるけれど

家族以外で一度もメガネで

人に会ったことがなかった

 

メガネ自体が美しくない象徴と

いうわけじゃ全然なくて

似合う人はいいなぁと

いう憧れはある

 

 

ユタへ行くときは

長時間フライトだったので

仕方なくすっぴんメガネで

のりこさんと一緒にいたけれど

気分が良いわけではなかった

メガネをかけた自分の顔が

全く好きじゃなくて

投影が起きる

帰りの飛行機はその顔で

大泣きを晒したけど

そんなこと気にする余裕は

なかった

 

勉強会の次の日は

どうしてかわからないけれど

コンタクトレンズをする気分に

ならなくて

何かに対する切望を感じた

 

 

メガネじゃ人に会えない!と

いう恐れや制限する想いから

解放されたい

この肉体に対する美醜への

ジャッジから解放されたい

 

 

それが明らかに

生まれたのは

ユタに行ってからで

 

自分も兄弟のことも

肉体存在として見たくない

という気持ち

 

例えば顔が好みだとか

メガネが似合う似合わないとか

筋肉が美しいとか

肌に艶があるとか

渋くて素敵だとか

そういう一切がっさい

 

 

 

職場の反応は普通だった

引かれたりしなかった

なんだ、気にしてるのは

自分だけだと思った

 

それから1日おきに

今のところは

メガネ出勤になり始めている

 

こだわることに対して

あきらめ始めたのかな

 

マシでありたいとあがくあきらめ

 

ただフェイスブック

LMの兄弟たちの中に

人目を引くような美しい女性を見かける

 

そうすると自分は聖霊

損な方向に導かれてるんじゃないか

という不平不満の想いを見つける

 

自分がこれではない

兄弟もそれではないという

ところに行かないと救われない

 

それを聖霊に捧げて

通り抜けている最中