複数に見える仲間たちから

とても助けてもらえている。

 

今まで気がつかなかったことに

気づくために懐を貸してくれる

祥子ちゃんといい、

 

必要な時に見るべき闇は

必然的に浮上するので

安心していていいよ、

光に向かいなさいと

ブログ読んでメッセンジャー

軌道修正してくれる

のりこさんといい

 

他人がどう思うか

何言うかは関係なくて

自分がどうしたいのか

自分が偽りを脱いで

光を表すことなんだという

やりとりを20日の勉強会で

見せてくれた陽子ちゃんといい

 

全部あちら側から

運ばれて目の前に差し出される。

 

本当に受け入れたい。

 

昨日、順子さんから

声がかかって今日会って話をした。

 

メインのメッセージに感じられたのは

自分の存在意義みたいなものを

外に向かって証明しようとする

必要がないということ。

 

そのメッセージが届いたときに

脱力とダルさを感じた。

 

誤作動、過ちを犯さないか

いつも自分を監視している

緊張感から解放されていく

感覚。

 

私達は光だから、と話す

順子さんを見て、

それを私が言っちゃ

おしまいなんだ、裁かれるに

違いないんだ、という思考は

自然に沸き起こってくるけれど

それよりもそれが真実なのだから

本気で心を開いて受け入れたいと

今は思う。

 

それは形而上学やコース理論を

頭にチョンと乗っけて

「そういう教えよね」と語るのとは

全然違う

 

今の真の祈りは

自分が光であること

兄弟たちが光であることを

本当に教えてもらいたいし

受け入れたい。

 

真実に対して

もう素直でありたい。

それを自分に許してあげたい。

 

光が自分から現れて

それそのものとして生きて

神に使われることを

許したい。

 

自己憎悪を聖霊に捧げて、

することはただただ

今この瞬間

信頼して

立ち止まり

尋ねて

従うこと。

 

今この瞬間に何度も

繰り返し立ち帰って、

犠牲者をやめたい。

 

平安や奇跡を受け取ることを

全面的に許してあげたい。

 

そのために聖霊に助けを

求めていきたい。