Jesus in Japan の試写動画を観て

昨日は試写動画を何度も

繰り返し観ていたように思う

 

最初の数回は映像に

目を奪われて

字幕やメッセージがあまり

入ってこなかった

 

日本家屋のシーン

 

去年、参加できなくて

強烈な疎外感に苛まされて

いたことを思い出す

 

あの頃から

のりこさんに対して勝手に

いじけた気持ちを持ち始めたなぁ

(ユタで消えるまで)

 

“あそこに私もいたかった”

 

“映像の中の全員、私がいないことを

全く気にも留めていなさそうだ”

 

そんなひねくれ思考が惨めな感情を

伴って現れてくるのを

初めはぼんやり眺めながら観ていた

 

途中から

それで、、、

ジーザスはこの動画で

私に何を伝えたいのだろう

教えてくださいと

耳を澄ませ始める

 

そしたら、

音楽が慈愛の響きに

なって心に訴えかけて

くるように入ってきた

 

冒頭の

あなた達のためだけに

作られた動画という

メッセージ、

カースティン、

Hさんのナレーションに

来たところで

 

 

あなたはかけがえのない存在で

本当に愛されている

その真実をただ受け入れて

欲しい

そのためだけに全てを

総動員させて

これを作りました

 

 

 

それしか聴こえなくなった

 

 

 

映像の中の

マイティコンパニオンたちが

それを私に伝えてくれる

メッセンジャーとして

心を尽くして

動いてくれているように

しか見えなくなった

 

それを伝える道具になるためだけに

彼らは勇気を持って恐れを超えて

自我の安全圏を抜けてくれた

 

 

というより、もともと

聖霊がそのようなフリして

演技してくれてるような気さえ

した

 

 

何かが心の中で変わっていく

 

私はそのように

マイティコンパニオンたちを

見れたことは今まで

なかった

 

共に助け合い目覚めあう仲間として

素晴らしいと今まで何度も

数えきれないほど感謝してきた

けれど、腹の中にある

嫉妬やライバル意識、

上から目線の「私達、対等だから」の

つきまとい

 

でも

ああ

そうじゃなかったんだ

 

全然違うんだ

 

そういう兄弟はいないんだ

 

本当にこれは

目覚め競争じゃない

 

比較じゃない

 

 

ただ愛されていることを

受け入れるのか、、、

 

 

泣き始めていた

 

 

泣きながら

提供する側にいたかった自分、

与える側の優位に立ちたかった自分が

はっきり見えてくる

 

献身に秀でた者があのポジションに

就くことができるんだという勘違い

 

聖霊はただ愛されていることを

受け入れて欲しいだけ

 

与えるからただ受け取ってくださいと

言われてるだけなのに

ノミのようにピョンピョン飛び跳ね

ながら、なんとか爪跡を残せない

だろうかと目を血走らせて

的外れなことをしてる

小さな小さな自分が見えて

その瞬間、ワッと大泣きした

 

その哀れな自分が姿を

見せたとき

悲しい

悲しい、の大合唱が

浮上して

ずっと涙が止まらない

 

その小さな自分を

そりゃ分離できたと

信じたらそうしてしまうよねと

聖霊と一緒に抱きしめる

 

そのうち

なんで泣いてるのかも

わからなくなり

頭痛がし始めて

嗚咽もやまず

気がついたら寝ていた

 

夢で巨大な洗濯機が出てきて

山のような衣類が

頭の上から降ってくるところで

目が覚めた

 

目が覚めて

再び動画を観る

 

日本家屋のシーン

 

私がいないこと、

その映像の何一つ

コントロールできないことに

なにか平安な思いがした

 

聖霊、ありがとうごさいます

献身の意味、真の美しさとは

何なのかを少し受け入れられた

ように思います。

マイティコンパニオンたち

本当にありがとうごさいます