とにかく「自分」が

中心でいないと気が済まないと

訴える思考に同一化しようとする

私を聖霊に捧げてる。

 

自分中心で世界が回ってないと

我慢ならない思考。

 

「私は引き下がります」という

コミットしても、

「そのような自分」が

中心にいるかどうかが死活問題

みたいな訳の分からない矛盾。

 

昨晩の勉強会。

 

のりこさんを前にすると、

投影されるの覚悟で

献身してる祥子ちゃんに

対して「私は無辜なる

被害者」とい思いが

結構出てきた。

「聞いて。彼女の返信の

真意がよくわからない。」みたいに

不満を言いたくなったり、

それでいて、わからないのは

私がワンマインドでいれてないから

私に非があるんだよねという

卑屈な想い。

卑屈な想いからの、私が

間違えてるんだよねという想い。

 

そして、

良い子ちゃんでいたい従順を装う私が

「これは私の繋がり合いたくない

想いが反映されてる映像として

展開してるのは 

よくわかっているんです」と

言っていたり。

 

今まで本当に

こうやって生きてきたよなぁと

思う。

 

良い子ちゃん演じて

大人に取り入ろうとする。

 

のりこさんからのアドバイス

解放と癒しを感じたのも

束の間

祥子ちゃんの番になって、

そのシェアの内容が

彼女の心をそれ一色にする

くらいのレッスンの話にも

関わらず

 

マイティコンパニオンなのに

一回も自分の名前が

出てこないことに

自分の存在が抹消されてると

思う自己中心的な想い。

 

ラファエルに認められなきゃ

本気認定されないのかよという

不満や反発や

兄弟間で比較されてるような

解釈が起きて

苦虫噛み潰したような気持ちに

なる。

 

そして、そう思っていることを

悟られるのはシャクなので

表情は平然を保つ。

 

私は権威者に弱いなと思う。

権威者に媚びへつらう者への

軽蔑があるけれど、まさに

それをしてるのは私なんだ。

 

惨めな私は存在していると

叫び

権威者に認めらるため 

承認に飢えている。

 

 

だけど、昨晩

のりこさんのアドバイス

亀裂が入ったのか

わからないけど、

これを真に受けるには

自分のこと行為者だと

信じていないといけないんだよな。

何かスペースが空く。

 

ここに住まう者じゃなければ

承認を得るってなんなのか。

 

いらないんだよね。

そしたら気が楽になる。

 

 

神に愛されていると

何百回も教えられてるのに

それに耳をふさいで

それでも承認が必要だと

しがみつくのはなんなのか。

自分の決断以外に原因がない。

 

私と兄弟は誰なのか。

教えてください。