三崎口9/2-6リトリート

この数日、三崎口リトリートについて

書くことに無価値感を感じてる。

今も。

 

 

すごく深かったことは感じてるし

今までのリトリートとは全然違った。

実際に住んでないから不明だけど

こんなことをリビングミラクルズの人達は

毎日、無期限でやっているの?

半端ないなと思った。

 

無価値感を感じているのは

自分の心になにが起きているのか

今もわからないから。

わかりきらないから。

私はこのリトリートの

1パーセントも言語化できない

かもしれない。

自分の体験なのに。

 

とにかく、書けないなりに

書きだしてみることにした。

 

腹の中のものを出し切りたいと

精一杯取り組んだけれど

もし聖霊にあなたが

あのリトリートで晒すことが

できたのは全体のほんの数パーセント

だったんですよと言われても

驚かない。

無を感じてしまうぐらいの

激しい抑圧。麻痺してる。

 

良い知覚なんてほとんどなかった。

一度、「今日は平安でファンクションで

幸せを感じた」と答えたけれど

のりこさんに突っ込まれた。

それは前日があまりにも悲惨だったので

少しマシになっただけで、そう感じた

からだった。

 

秘密にしたくなくて勇気をだし

本人を目の前にして、

のりこさんに助けられ

引きだしてもらいながら

ほとんどの仲間たち、

かなえさん、けんたさん、

順子さん、祥子さんに強い不満や

呪いとも思えるような憎悪を晒しても

最終日までずっと心が重かった。

 

のりこさんに最終日

陽子さんへの思いがほとんど

語られていないことを

切り込まれたことが風穴があく

きっかけになった。

思わぬ展開だった。

 

私はこのブログに書くことが

できないくらい彼女への嫉妬やら

特別な愛憎感情を隠していたことを

それでやっと話し始めた。

隠して平気なふりをしていたことを

最終日にやっと明かした。

 

陽子さんは私がそんな風に思っていた

なんて知らなくて驚いていたようだった。

 

話していくうちに胸のつまりが

軽くなっていくのを感じた。

情けなさも感じながら。

とてもカッコ悪かったけれど。

 

 

その後、懐かしさに包まれた感じがして

心が温かくなった。

 

陽子さんとの個人的な関係を超えて

もっと奥にある深い存在に触れているような感覚。。

 

 

促されて、愛の言葉をかけあったけれど

私には見つめ合いで充分だった。

言葉は野暮に感じるくらいだった。

 

のりこさんから、言葉に頼らなくても

アイコンタクトでコミュニケーションは

可能なんだと聞いたとき、それに対する

強い憧れというか強くそれを望む気持ちが

生まれたように感じている。

 

それは、すごく短い瞬間なんだけれど

激しい憎悪を感じた

けんたさんやしょうこさんにそれを

感じたときがあったから。

正確にはコミュニケーションというより

目で繋がりを感じたときがあったから。

どんなに憎悪が出ても、そこを超えて

繋がってる何かと出会う感覚。

彼らは気がついてないかもしれないけれど

いつ?と思われるかもしれないけれど

私は感じた時があった。

 

それを全ての兄弟に感じたい。

ひとつだということ。