自分が自分を赦していなかった

聖霊にお捧げするために書かせてください。

 

 

カースティンのリトリートで

授かったものを言葉で表現するのは

難しい。

 

きっと私がまだ気がついていないギフトも

たくさんあると思う。

 

神は私を本当に本当に愛してくださっている。

 

そういう体験を受け取ったことは啓示だったり

今までもあるけれど、リトリート中はそれを受け入れたくないと、かたくなだった部分が溶かされていくのを感じて涙が止まらなかった。

 

そして、大勢の兄弟たちとリアルで分かちあったことが物凄く大きな恩寵だった。

 

ああ、私は私を赦していいんだな。。。

 

私が私を一番赦していなかったんだな。。

 

浄化の涙と鼻水をたくさん

垂らしながら思った。

皆さんの涙を見ながら思った。

 

カメラマンのヒラさんの言葉で

大泣きもした。

朝のエクスプレッションセッションで

ヒラさんが「カメラを通して私は

皆さんにキリストを見た。」 と

シェアしてくださった。

 

私の癒されてない硬い殻みたいなものが

その言葉で割れたのを感じた。

 

割れたから気がついたのだけど、

私は今回の映画製作は来日する

カースティンに焦点を当てたもので

私自身はエゴまみれエキストラ

日本人役くらいの

立ち位置だろうと自虐的に

思っていたんだと。。

 

それに対してヒラさん聖霊の言葉は

「みんなキリストでみんな美しい」

「誰も除外されず、誰も神から忘れられていない」というメッセージに聞こえた。

 

無意識に心底信じている

“私は醜い”

に光が当たり、一気に浮上して

今、受け入れられる分だけ

取り消されていくのを感じた。

 

話が遡るけれど、

私は過去に数年間、

フィットネスインストラクターの

ような仕事に関わっていたことが

あった。

そこのスローガンは

女性は美しくなれば、自分を

好きになることができ、

みんなからも愛されるようになる。

だから頑張ってナイスバディを

目指しましょう。というものだった。

 

私はそのスローガンを

知る前からそれを信じていた。

 

普段からこれは私ではないと

教えているけれど

リトリート中、

その古い信念にも光があたり

私達の美しさはこの肉体に

よるものではないんだ。。

本当にそうなんだ。。と

慰められた。

 

実のところ、人生にMが

現れてから、この「女性は

肉体的に美しくなければ

愛されない」という信念を

ガッチリ再び掴んでいることに

気がつかされていた。

分離の強化のために。

 

リトリートの1週間前くらいに

インフルエンザのような症状が

出て、丸一日寝ていた。

 

そのときに事情を知らせたMから、

化粧しなくていいから、あなたの

その今の写真を送って欲しいと来た。

 

正直、勘弁して欲しいと思ったが

しぶしぶアプリで撮ったややキレイ目に

補整した写真を送った。

さすがにコンデション悪いすっぴんの

「まんま」の写真は見るに

耐えがたくて送るのは無理だった。

 

Mは私に、僕は女性の見た目を

全然気にしない。

内的な美しさに惹かれるから

大丈夫だ。という。

 

今までも何回も言われたが、

いやいや、嘘をつくんじゃない。

と信用しなかった。

 

そのへんのところが、

ちょっと緩み始めたかな。。と

思う。

 

ありがたいことに

諦めがついてきたのもしれない。