私が男性に恋するとか特別な感情を

持つことについて考えるとき

 

猛烈な恥の感情を感じる。

 

私は内面も性的魅力も欠けていて

愛される価値はなく、

そういう感情は相手に迷惑だから

速やかに断ち切れと

責められるべきであり

未来に自分が思っているだけじゃなく

それが証明され、お前が愛される訳

ないだろと嘲笑されることを

恐れているから。

 

これらの考えや感情は、

私はおぞましく、無価値な人間で、

そういう私が存在していると、

私が正しいと証明している。

 

私が強く欲していることは

周りから必要とされ、おぞましくないと

否定してくれて、愛される価値の

ある人だと承認、安心させてくれること。

 

私がこの世界の何かを責めたり恐れたりする時それは嫌な気持ちとその解決法をあるがままに見ることを妨げるためでありその代わりに自分が望む自己概念や他者世界のイメージを持ち続けるためである。

 

自己概念や他者世界のイメージを責めたりをされたりする事は自分が肉体に制限された肉体の世界の住人であり本当の私に神であるスピリチャの抽象性の否定を必要とする。

 

私はまだ自分が無価値でおぞましいと信じているので私が幸せになり完全になり平安になるためには外側のたくさんの登場人物が愛や承認を私に与えて安心させてくれることが必要だと考えている。

 

今あるがままではない何かを強く求めることがあなたは神の平安から遠ざけている。あなたが真に求めているものもたらしてくれる唯一の目的にあなたの再調整をするためにこの強い欲求欲望を聖霊に捧げる意欲がありますか。

心の平安を受け入れるために。

 

はい。

私はこのことについて自分が間違っていることを望む。どうか私が間違っていると言うことを見せてください。

 

聖霊ありがとうございます。