息子のこと

この記事はとても時間がかかった。

 

ほとんどシェアすることを

してこなかったんだけれど、

リトリートが終わってから

頻繁に息子のことが

頭をもたげる。

 

物理的に離れて1ヶ月以上経つ。

この1ヶ月、何回、息子の名前を

会話の中で口にしただろうか。

 

 

ほとんどない。

 

 

そのことがなんだか

異常のようなことに感じられて、

ひとりのときでも、ときどき

独り言で息子の名前を

言ってみたりする。

 

私にとって、深い罪悪感に

触れる。

覚悟して手放したことだけど、

次いつ会えるのか本当に

わからない。

もしかしたら、息子がひとり

自分の意志で会いにくるまで

ないかもしれない。

 

息子のことは五井先生に

託したけれど、

正直、会いたいという想念は

湧く。

 

心で繋がってるから、

肉体は会わなくたって

大丈夫だと言ったら

嘘になる。

生きてるなら会いたい。

会いたいという欠乏を見つめる。

 

私にとって、最悪シナリオは

会えないまま息子に先立たれること。

 

見つめると、聖霊に従った結果とは

いえ、息子と離れて気ままな

一人暮らしをしているかの

ように見える自分を

裁いているみたい。

 

 

息子=自分の所有

私は母であり、

彼は息子である。

そう思うと苦しい。

掴もうとしにいき、

分離感が強くなる。

でも、実は私と彼は神の子では

なくて、そういう惨めな者で

あるとヒロイン ぶって

夢見続けたいのかもしれない。

 

息子のことを掴もうとするのも

神を防衛するため。

あんたじゃなくて、こっちが

いるんだよ、と言ってる。

 

内側の「ゔぉおおお」を

見て、その分離の

決断をした場所まで戻る。

 

どうこの記事を終わらせていいか

わからない。