気がつけないというのは分離の欲望だった

リトリート最終日に

Aさんの作った料理を

彼女の希望通りに私が

盛り付けなかったという

ことがあった。

 

みんなに均等に分ければ

それで大丈夫だよねという

一点しか私の頭にはなくて、

Aさんに確認したり

相談したりせずにやっていた。

 

それを赦してくれた彼女から

打ち明けてもらえたので

とても有り難いことだった。

 

気が利かない、とか

気がつけないということが

私にはよくあって、

それは自分の欠点だと

思っていたんだけれど、

ああ、それは私の分離の欲望ゆえ

なんだとハッとした。

 

気がつけないんじゃなくて、

無意識に働いている分離の

欲望に同調して、「気がつけない」

ということにして分離を維持

してるだけなんだ。。

 

もっと繊細に耳を傾けて

聖霊が何を語りかけているのか

絶え間なく聴き続ける意欲を

持って、兄弟たちと、、

(自我がオェェと言ってる)

聖霊の目的のもとに

同調して溶け合いたい。