2日が過ぎて、長野の調理シーンのために

昌子さんとかなえさんが参加することに

なって、これはとても私を安堵させた。

 

こうすけさんも予定より早く調理の

準備に入れることになり、実際に皆で

作ったことのない不安な料理の数々を

練習することになったとき、

彼がテキパキ調理をこなしていくので、

私の目には救世主のように映った。

 

同時にこれが去年5月のリトリートを

経てからのことで本当に良かったとも

思った。

 

そのリトリート中まで、尋常じゃない

ライバル意識をこうすけさんに投影

していたので、その大部分がある程度

剥がれ落ちた今だから、こうして

一緒に取り組めるけれど、そうじゃ

なければ絶対に無理だった。

 

このためにもあのリトリートがあった

としたら、とても完璧だと思った。

 

手際よく調理しながら

皆に教えるこうすけさんと

料理教室化してる風景を眺めながら

でも、これは条件付けで仲間を

見てるんだろうか?とも思った。

 

料理が下手だったら?

 

私より下手で足引っ張ってたら?

 

愛さないんだろうか?

 

さげすむんだろうか?

 

何もできない人なら

私は愛さないんだろうか?

 

その答えはそのまま

自分自身に対してのことだと

思った。

 

私は条件付けでしか

愛されないと信じてる。

 

付き合う価値がないと

愛されないと信じてる。

 

だから価値を高めないといけない。

 

これが本当に間違いだと私は望みたい。

どうか本当のことを見せてください。

 

 

この集まりのとき、買った食材費についても

皆と話し合った。

最初は、割り勘のつもりでいたのだけど

兄弟の口から「確かドネーションから

出ると聞いた」という一言が出て、

一旦割り勘するという話が消えた。

 

これは、「やってあげてるからドネーションからもらえるのならもらっておこうか、という自我に流されたよね」と後で皆と話し合って寄付することにしたことを覚えてる。

 

のりこさんが言っていたけれど、

「やってあげてる」

この想念には敏感でいたいと思う。