江の島

3人で

今まで印象的だった

合宿や撮影旅のシーンを

振り返って「実はあのとき

こういう感情や思いがあった」

とエクスプレッションしていた。

 

そしたら、本当に

自分の中の「みんなは

こう感じてるに違いない。

私と同じように考えてるに

違いない。私と同じことを

トリガーにしてるに違いない。

私と同じことに注目し

クローズアップし、同じような

ジャッジをしているに違いない。

みんなは私のことをこうジャッジ

してるに違いない」が

覆されていった。

 

改めて私は私の見たいようにしか

見ていないし

それは間違っていたことが証明されていった。

私の考えはあてにならない。全て。

それが救いに感じられて嬉しかった。

 

順子さんが私の目を見て

「抵抗はあるけど、

どんなレッスンも受け入れるって決意した」と

言ったとき、それは私が最もへっぴり腰になる

決意で祈りだと思った。

でも、今はへっぴり腰でもいい。

そう意志していきたいってことは聖霊

伝えることはできる。

ステップバイステップでいいから。

それで祈って、3人で決意と

祈りの鐘をついた。

 

 

横並びで歩いているとき

なんとなく隣にいる

けんたさんと手をつなぐように

聖霊に促されてる感じがして、また

私もそうしたいという感じがしたので

繋いでもらった。

 

ハグやお互い手を

握ることは慣れていたけれど、

このとき今まで感じたことの

ないものを感じた。

 

繋いだ瞬間、

・・・あ~!この感じ、懐かしいなぁ!!

という感激みたいなよろこびが

胸にこみ上げてきた。

それは、元旦那さんと手をつないで

感じていた同じ温かさと

感触だった。

 

3月のインタビューを経て

ますます元旦那さんを頻繁に

思い出すし、旦那聖霊から

応援されているのを

日常的に感じるんだけど、

それをけんたさんというコミュニケーション

ツール経由で彼が愛を送ってくれているように

最初は感じた。

それが次第に聖霊からの愛と変わらない

それが同一だというのを強く感じた。

 

けんたさんは真ん中で

順子さんとも手をつなぎながら

別のことを感じているようだった。

恥を感じていて、外でこういうことを

するなら、もっと若くて

かわいい女の子達とだったらって

正直思ってること。

 

聞いた瞬間は、「ほら、悲しみを

感じなさいよ~」みたいな

エゴのお誘いをうっすら

感じたけれど、それより愛の方が

大きくリアルだったので、それは

あっという間に溶け去って

けんたさんが言ってることは

「ただの思考」で

力を感じられなかったし

真に受けようという決断が

自分の中に感じられなかった。

 

これか。。と思った。

誰かが自分のことをどう思ってるか

じゃないんだ。

相手の言動で傷つくわけじゃないんだ。。

 

そうなんだよ、そうなんだよと

聖霊が私の代わりにやってくださっている

感じがした。