5月のギャザリング前あたりから

人のご機嫌取り、いい人仮面つける気持ち悪さに

決定的に気が付かされてから、

ご機嫌取りをする必要のある「他者」が

いなかった、本当は私達は一つだったことを

知りたい、教えて欲しいと思って

「嫌われることを恐れずに

正直に自分の気持ちを伝える。

そしてその後のことは聖霊

信頼する」ことを

本当にちょびちょび一歩一歩、

仲間達相手にさせてもらえていると思っている。

特にリトリートや撮影旅を共にしてきた仲間には

全員に。

 

確かに根底に、それをしても超えていける信頼、

一つの目的が聖霊やみんなのおかげで

感じさせてもらえているから。

そして自分のコアの部分に、信頼したいという

強い意欲も感じる。

 

でも、相手が誰であれ、信頼はあっても

その渦中はやっぱりお互いに精神的に

痛みを感じるしキツいと思う。

リアルに感じる。

 

けんたさんが、「(私のエクスプレッションによって)

恥と激怒を感じたけれど

今となれば恩寵に感じる」と言っているのを聞いて

結果オーライとはいえ

自分が相手にとってネガティブな

トリガーとなって結果、恩寵って

自我的にはまだなんとも複雑な感じがする。

 

できればネガティブトリガーを引く役ではなくて

「平安のツール」の誘導役とか、エクスプレッションを

聞く側で「ありがとう。あなたのおかげで助かりました」

系のことを言われる役の方が良かったなという考えは時々浮かぶ。

でも、そんな自己概念なんて意味はないし、そもそも

聖霊がやっていて自分の手柄ではないけれど。。

 

私が直接したエクスプレッションによって

闇を感じたので、○○さんに平安のツールを

してもらって助けて頂きました、○○さん、ありがとう。

みたいなことがちらほら聞こえてくると、

まだ慣れていなくて少し罪悪感を感じる。

仕方ないとも思う。

 

エクスプレッションの後、自分の発言を

振り返ったりする。

「正直であること」を大義名分に

ただ攻撃を正当化したかっただけじゃないかと

疑ったり。

でも、どのエクスプレッションのシーンを

振り返っても、タイムスリップできたとしても

あのように表現することは避けられなかった

と思う。

 

それもひっくるめて自分を赦したいと思う。

お互いに心底、正直な本音を見せても

私たちは壊れず、

私たちは一つで傷つくことは

不可能な存在なんだって教えて欲しい。

外にも内にも罪はなかったんだと

本当に教えて欲しい。

そしてその答えを私は拒絶しないで

本当に受け取りたい。