(改)

今もどこか呆然としている感じから覚めていないと思う。

 

「悲劇のヒロイン」を

初期設定済みにしておいて

それから聖霊に尋ねていたなんて

全く見えてなかった。

 

それは「尋ねてない」ってことだったんだ。

 

天国を完全、売り渡して「悲劇のヒロイン」を

やっていたなんて、全然、

自覚してなかったし

それを代償にすることの巨大さ、

計り知れなさを知らなかった。

今まで同じような話は

のりこさんから聞いていたけれど

29日の勉強会で急に

は?何これ?何してたの?って

頭が真っ白になった。

 

 

 

しばらくムージのいうように

寝袋の中でジッとするというのを

精神的にやっていたけれど

勉強会の3日後くらいに

「溶け合ってたまるものか!」という

反乱、反発が出たので、

祈りながら更にジッとしていた。

 

 

 

自分が、原因の場所で、

何を、しているのか

マジでちゃんといつも見ないといけない。

 

 

 

そうすると、本当に数えきれないくらい

熱烈に「悲劇のヒロイン」にのめりこみに

行く。

「くっきり」から「うっすら」まで

何度も何度も

何度も何度も。

 

 

 

ああ、またこれか。参ったな。って

何度も足をぬく。

 

肩の力が抜ける。

 

忍耐強くやる。

 

 

すぐうんこがステーキに見えてくる。

ステーキがうんこに見えてきてしまう。

 

 

のりこさんの「やめるだけじゃん」

この言葉はそういう意味だったのか。

 

 

「私がだんだんと正気になる」なんて

壊滅的に無理な感覚。

 

 

聖霊にひざまづいて

絶え間なく助けてくださいと

真から祈り続けるしかない。

 

 

 

「この先どうなるんだろう」という

想いは繰り返し湧いていたけれど

祥子さんと話して、それをわかることが

無理だったと教えられて

何かが抜けて安心した。

 

 

私は最初この記事を更新する前に

そう書いていなかった。

もう一歩のところを取っておいていた。

 

 

ありがたいことに

そのことで祥子さんから

メッセージを頂いた。

 

私はまだ洗濯機で洗われてるみたいに

呆然感が強いけれど、本当に

本当に聖霊

尋ねて、助けて頂きたいです。

 

 

 

今の認識さえ全体の数パーセント

だったとしてもありがたい。

 

 

「助けてください」の助けを求めることの

意味も深さもわかっていなかったです。

 

 

仲間達に助けを求めることにも

もっと心を開きたいです。

それは聖霊に助けを求めることと

変わらないと教えられ続けているから。