仕事について。

 

今のデイサービスの職場環境、

利用者さんたち、職員さんたちとの

出会いに導かれてありがたいと感じてる。

 

今まで勤めてきた職場では

感じることができなかったような

人との関わりの密度の濃厚さを感じるし

とてもやりがいが大きい。

心から楽しいと思う瞬間も多いし

利用者さんたちの表情とか目とか

見つめていると心が揺り動かされて

何かが込み上げてくる。

飾りのない純粋な美しさみたいなもの

純粋無垢なものに触れる感覚がある。

 

ひとりすごく苦手な利用者さんがいた。

わがままで、がめつくて、図々しくて

トイレ誘導しても拒否、いつも

尿臭くささを振りまいて、リハパンと

濡れてるズボンを変えさせて欲しいと

お願いしても断固拒否する。

 

不潔だし意思疎通もできてるのか

できてないのか

よくわからない感じで

あんまり近寄りたくない、話したくないと

思っていたけれど、ある日、彼女の送迎中

花が好きだと知って驚いた。

悪いけれど、全然そんなイメージない。

だけど、期せずして、花の美しさについて

語られて、その彼女の目を見たら、

本当に美しく輝いていて、

私は一体今まで彼女の何を

見ていたんだろうと、そのときは

時の流れが突然

スローモーションになった。

 

それから、彼女に対するイメージが変わって

接しやすくなった。

もともと私は花や木にほとんど

興味がなかったけれど

見ると癒されるというか

良いなぁと感じるようになった。

そのときのことを思い出すから

なのかな。

 

最初の頃はいちいち激しく動揺していた

利用者さんたちの尿失禁や便失禁、

バルーンカテーテルストーマ袋も

見慣れて、別に何でもないと思える

ようになったことはありがたかった。

以前は、人に下の世話をされてまで

私は生きていたくないと思っていたから

それがたいしたことじゃない、別に

恥ずかしいことじゃないと感じられるように

なったことは、なにか大きなものが

癒されたように感じた。

 

入浴介助時に人の裸や

下のお世話や異常がないかの

チェックのために

陰部を見ることも最初は

罪悪感や抵抗があったけれど

職員さんに「水野さんが

恥ずかしがると利用者さんも

恥ずかしくなるから」と指導されて

いつの間にか気にならなくなった。

 

この世界に入る大きなきっかけ

というか決断に至ったことは

ずっと忘れないと思う。

のりこさんの「目の前にお尻があって

下のお世話をしているとき、プライド

を持つことなんてできないよ」って

いう言葉がどういうわけか

とても心に残ったから。

 

それで、実際、目の前にお尻があって

きれいにするとき、「プライドが

今あるだろうか」と考えたり

その考えがよぎることさえないけど、

とにかく必死で、

便や尿の匂いさえ感じないし

あんまり時間をかけ過ぎたり

利用者さんをごろごろ動かし過ぎずに

きれいにすることしか頭にない。

 

特に今、私は辛いと感じることが

多いので、利用者さん達を手引き

したり、介助していても、逆に

私が彼らに手引きされて、支えられ

微笑まれ、励まされているように感じる。

この仕事があってよかった。

家にこもってたら鬱になってると思う。

もしかしたら息子への罪悪感を

散らしたり、紛らわせられてるのかも

しれないけれど。

 

ドライヤー中、

「あんた!!乾かし方、痛いんだよー!!」と

すごい剣幕で怒鳴られて

人からそんな風に怒鳴られたことがなかったので

めちゃくちゃビビって謝ったけれど

その後、私に対して後腐れが

ない感じでケロっとされてるのを見て、

私にはないものを

持っていて羨ましいなと思ったり。

ノーピーポープリージング

ノープライベートソートを

自然にやってる利用者さん達を見て

いろいろたくさんのことを教えられている。

 

反対に

この仕事をする前は「転倒」に対して

特に何のイメージもなかったけれど

今は、転倒=死に繋がる=罪っていう

図式が刷り込まれたように感じてる。

 

元気だった利用者さんが数人、

自宅で転倒して短い期間で亡くなってしまって

ショックだった。

 

だから、利用者さんがフラッと立ちあがったり

すると、警戒心がハンパない。

特に浴室や脱衣場では気が張って

休まらない。

逆に「私達は体だ」って強化してるんじゃない?

ってよぎる。

 

この仕事を始めて、4か月目。

一言でいうと、必死だと思う。

へとへとになるし、やることが多いし、

すごく気を張って頭痛するし。

 

ほとんど、聖霊に具体的に尋ねられてない。

聖霊・・・」と頻繁に

呼びかけているけれど

「どうしたらいいですか?」と

聞いて受け取っていない。

ほぼノンストップでやることを次々、

目の前のことをひたすら、

利用者さんたちからの頼まれ事を

「はい、はい」言ってやってる。

それであっという間に一日が

終わる。

 

だから、聖霊の前に思いきり出て

バタバタやってしまってる。

合宿のときの台所みたいに。

それについて失敗感を感じる。

 

さっき、やりがいを感じてることを

書いたけれど、それについても

罪悪感を感じてる。

聖霊になさって頂いていたら

やりがいは感じていないはずだから。

でも、感じちゃってるんだよね。

 

行為者として頑張ってると思う。

 

前半、良いことを書いたけれど

利用者さん達とそんなに話したいと

思ってないときもよくある。

安全だけ気を付けておいて

あんまり関わりたくないときも

よくある。

 

職員さんたちによく思われたい

頑張ってるって認められたい気持ちも

出る。

 

もっと落ち着いて

立ち止まって

聖霊に使ってもらいたい。

 

今日こそは、と思って臨んで

結局、今日も行為者だったなと

思って毎日が過ぎていってる。