三崎口リトリート へっぴり腰ののび太で良かったのか

9日間のリトリートが終わった。

 

いつも一定のキツさはあるけれど

今回のはいつにも増してキツく

苦しかった。

 

でも、聖霊はそのまま

ほっておかない。

それは確かみたい。

必ず洗い流してくれる。

 

終盤、のりこさんに

尋ねていた。

 

どうやって、無自覚なことに

気がついていったらいいのか。

 

そしたら、

自力で気がつこうとしなくていい

「無知で 気楽で

養われている」が

キーワードだと教えられて

ハッとした。

 

その逆をずっとやっていた。

 

自分でわかろう、わかろうとし、

深刻で

自力で切り開こうとしていた。

 

聖霊は然るべき時に必ず教えてくれる。

必ず、突っ込んでくれる。

だから気楽で安心していていい。

 

それを聞いた時、

心に光が差した気がした。

 

リトリート中、

コミットや意欲とは

はるかにかけはなれた

自分のへっぴり腰な

心の状態に打ちひしがれて

かなり惨めだった。

 

でも、

その「のび太」のような私が

覚醒という

言ってみれば「ハーバード大」に

無謀にも

受かろうという意欲を持ち続けてるのだから、

それだけでえらいのだから自分を

認めてあげなきゃね、

ほめてあげないとね、と

のりこさんから話があり、

それで皆んなが私も含めて一気に

ほぐされて泣き笑いみたいなことに

なった。

 

そうか。

そうだったのか。

 

そりゃ褒めていいよね。

 

だって、のび太

万年浪人と決まってるのに

こうして意欲を持って

健気にやってるのだから。。

 

帰宅して

翌日、何か

「無知で 気楽で

養われている」ことを

知りたい、

 

そのシンボルとなる御守りのような

ものが欲しいと強く思った。

 

で、何を思ったのか写真を漁り始めたら

出てきた。

 

私が生まれた年に撮られた写真。

おばあちゃん(私には無条件の愛を

注いでくれる存在)に見守られて、

テーブルには食べ物がたくさんあって

それを母が撮った写真。

 

まさに

無知で気楽で養われている状態。

 

これだ。。!

この状態のままで、良かったんだ。。

私はここから出る必要がなかったのに

成そう、成そうと出て行ったのが

不幸の始まりだったんだ。。

 

のび太のままで良かったんだ。。

 

それで、ワンワン数時間

泣き続けた。

 

ありがたくて、ありがたくて。

 

大人にならなくてよかったんだ。。

 

こどもに帰りたい。

 

そうさせてあげたい。

 

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