25日の自分の番の勉強会では

慈悲みたいなものを感じて

安堵した。

 

リトリート中の音声を聞いて

ノートに書き留めることを

「攻略」が頭をもたげてるって

教えられて、無自覚だったけど、

どこまでも聖霊ジーザス、

五井先生にすがっていくだけなんだなって

脱力した。

 

でも、27日の勉強会では

のりこさんがかなり具体的に

リトリート中の私のどうにも

ならなさを語っていたのが

きっかけで、

あの時の生々しい惨めさや罪悪感、

自己嫌悪やらがリアルタイムみたいに

再現して、怒りと悔し涙が

止まらなくなった。

 

投影されることから逃げ回ってる自分。

自分の本音さえ自分に隠して

感情に触れられない。

 

何しに来た!?ってくらい

ザコさ加減を晒したリトリート。

 

なんで自分だけが!?

なんでこんなに空回った?!って

悔しさと情けなさでグルグルする。

 

奇跡は受け取ったけど、

今は「大失敗感」がひたすら 

クローズアップして

迫ってくるように感じる。

 

自分を殴り殺してやりたい衝動。

それだけじゃ足りず、周りを

道連れに死んでやりたい。

 

最初はのりこさんに、

いつも私のことばかり悪例として

話すよね!と恥をほじくり返されてる

って激怒が向かったけど、

もうただの逆ギレが暴れてるだけ。

 

ジョーカーや通り魔の気持ちと

なんも変わらない。

 

どーせ!どーせ!の自己憎悪。

 

ただ、これをダダ漏れにして

ジーザスや五井先生に祈って

「消えていく姿」として

見つめるしかない感じ。

 

他の見方があるなら、

それを再び教えて欲しいです。