神の平安ではなくて

万人への平等の愛ではなくて

神から特別に愛されることを

めちゃくちゃ欲してる。

 

自分だけに向けられた好意かと

思ったら、

なーんだ、だれかれ構わずだったんだ、

と分かったときの落胆。

 

そんなとき、

みんな愛されていたんだねー!とは

喜べない。

 

なんだよ、

シラけさせんじゃねーよ。

 

そういう思考が湧く。

 

そして、

しばらくすると

泣き叫びを隠すために

 

ああ、そうですか

別に、私は平気ですけど?

と切り替えて

 

エスの言葉

「通り過ぎるものであれ」を

儀式的に実行しようとする。

 

そういう防衛が見える。