のりこさんのことを

盾にしていたことは

気がついていたけれど

祥子ちゃんのことも

盾にしていたんだなと

気がつかされた。

 

自分にとっては

屋根のようなものが

一瞬剥がされて寒気が。

 

仲間たちに嫉妬している状態が

実は安全地帯でぬくぬくだったのだと

自分にバラされた。

 

コミットしていた。

私は本当にしていると思っていた。

 

でも、バラされた今

やはり白羽の矢が自分に

向けられていることを

どこか見ないふりして

いたかったんだな。

 

先週の土曜の朝

映画のトレーラーを観ていて

すごく感謝を感じて泣いていた。

 

ムービーチームの仲間は

異口同音に、自我の想いを

抱えたまま参加してしまっていた

というようなシェアをするけど、

「YES」と言って従った彼らに

私の中の自我ではないところから

本当に感謝の想いが

こんこんと湧いてくる。

個人的な感謝というより

もっと深遠で大きい。

 

それで、そのときは

陽子ちゃんにその想いを

伝えたくなり、聖霊

尋ねてメッセージした。

 

その返信の文章の中に

「感謝の奥の奥にあるもの」と

いう言葉を見て

それが何か見つめたとき

聖霊からの覚悟を決めなさいという

強いコーリングを感じた。

促しのような。

 

犠牲者意識ではなくて

真の自分の願いとして

逃げずに本当に受け入れたい。

 

それを昨日のりこさんに伝えたとき

やっぱりこんなこと言うなんて

私は勘違い野郎なんだという

想念と同一化する。

 

でも、祥子ちゃんも言っていたし

のりこさんも話していたけれど

人から求められたから

人から有能だと認められたから

YESというのではなくて

誰からも求められなくても

自分が決断する大切さを

聞いていたから、そうする

必要を感じた。

 

のりこさんからのお返事の中の

「祥子さんやけんたさんと

同じだけ自分を(意欲を)

捧げる気があるか?が問題で、

それは行為者レベルの捧げる

ではない。」

をじっくり繰り返し読むと

恐れは上がるけれど

それは問題じゃなくて

それに対して言葉で、

はい、その気がありますと

言うのはあまりにも意味がないと

感じた。

御託並べるより

実際するということ。

 

のりこさんから、

実際するとはどういうこと

だろうね?と返信が来て

祈り尋ねている。