昨夜ああ書いたけれど

勉強会を続けてきたのは

やっぱり意欲だったよなぁと

思う。

 

 

のりこさんからの問い。

「光に向かうとは形態レベルで

何をどう動くことなのか。」

 

結局、今は特に何をどう動きなさい

というガイダンスはわからないけど

わからないなりに尋ねて

普通の日常生活を

送っていると返した。

 

的外れかもしれない回答だけど

そうとしか答えられないし

これが今のありのままだと思う。

 

その後

祥子さんたちと同じだけの

意欲を捧げる気があるか?と

聞かれたことを思い出して

(これが先の質問だった)

急にムクムクと

怒り泣きが込み上げてきた。

 

 

ガイダンスに従って

離婚して小さな息子を

手放した人に対してする

質問なのかという反発。

 

意欲以外の何なのか。

 

 

もともと身軽な独身の

兄弟たちと比べられて

私の意欲は軽んじられたと

いう被害者意識がドッと

溢れ出してきた。

 

そんなところから

のりこさんが聞いてるのではない

のはわかっているけど、

そのように言われたんだという

ことにしておきたい誘惑を見る。

 

仲間たちの境遇は

変えようがなく設定されてて、

それぞれの持ち場で

精一杯、意欲を差し出して

やってることはよく知っている。

 

でも、それを押しのけて、

私だって大変だったんだよー!!

なんなら、私の方が大変

だったんだー!!

誰にでもできることだと

思ってるのか?

 

そして言っちゃいけないやつ、

言ったら赤っ恥なやつも

出てくる。

 

映画チームだって、

私があの頃、独身で

お声がかかっていたら

仕事やめてでも

どんなキツいレッスンだって

皆と同じように堪えてみせた。

 

喉が裂けるような荒々しい叫びが

飛び出してきた。

そしてオイオイ泣いた。

 

これは責任転嫁で

急に引っ張りだしてきたようにも

思える。

要はガイダンスがなにかよく

わからなくて、

のりこさんの質問にちゃんと

答えられなくて

凄くイライラしてるんだと

思う。

気がついてないことが多すぎると

指摘されたことも気にしてる。

いつも誰かに

あなたは足りない、足りないと

言われてるような気分。

でも、紛れもなく私自身が

そう信じてるからなんだ。

 

 

ただジーザスに祈ると

その力はやはり感じて

泣きながらも

合間、合間に光が

心にスッと入ってくる。

入ってくると

なんて表現したらいいか

わからないけど

ピントが合って静かになる、

そしてボケたりを繰り返す。

 

本当にジーザスを信頼して

いく訓練だなと思ってる。