康子さんがウチで泊まる

ベッドで横になってるときに

いつも自分がしているその場所で

康子さんが

薄暗い中、身支度しているのが

視界に入ってきたとき、

まるで自分を客観的に

ビジュアルで聖霊から

見せられているように感じた。

 

面白いことに

康子さんは私がデイサービスの

制服として履いていた無印の

ベージュのチノパンと全く

同じものを履いてきていた。 

つい最近の私を映像化してくれ

てるみたい。

聖霊のやり方ってすごいな。

 

横浜で、息子をおいてきたことに

裏切ったという思いを

心の奥に閉じ込めながら

それを時々出しては

また引っ込んで、時々また

出してあげるみたいなことを

繰り返しながら

悲しみを抑圧して

ファンクションにいそしんで

頑張ってる自分。

仲間達と連日のように

エクスプレッションして

やれているような気分で

それでなんとか体裁を保ってる自分。

それが見えてきて、

痛々しいなぁと思った。

かわいそう、せつないみたいな。

 

自己憐憫とも違うような

慈悲の気持ちに近かった。

 

自分に見える康子さんを

後ろから眺めながら

自分に全面的に

悲しみを感じていることを

ゆるしてあげていい、

よわよわしい自分を

まるごとゆるして

あげていいって思いが

込み上げてきている。