康子さんが来た

それから、あれよあれよと

康子さんと4日に会うことが

決まり、念のため、泊まりの

用意も持ってきてもらうことに

なった。

 

ふたりで祈って、

横浜駅から

みなとみらいに移動して

山下公園に向かって

散策することになった。

 

私が驚いたのは

てっきり康子さんは

息子関連のことについて

取り組むんだろうと勘づいてると

思っていたら

そうじゃなくて全くの

ノープランで、横浜が

好きだから観光気分で

ウキウキしながら

出てきたということだった。

 

それは聖霊からの飴玉だねと

言ってふたりで笑った。

 

万国橋のあたりで立ち止まって

祈ったら、

手を繋ぐという言葉が浮かんで

これもまた抵抗が上がった。

そしたら、それは

トラストウォークのことらしかった。

 

それを康子さんに打ち明けたら

すごくいいね!という反応だったので

お互いガイドだと感じる距離を

トラストウォークした。

 

目を閉じて、康子さんに手を

引かれている間

一度、道路のわずかな段差を足裏に

感じて少し体によろめいたとき

不安と不信が上がったけれど

足を動かしているうちに

もう一度信頼するということが

流れの中で自然に起きていた気がする。

 

象の鼻パークでお茶しているとき

息子に離婚前に「今のうちに

いっぱいふたりの写真を

撮ろうね」と言われたことに

今も強い痛みを感じること、

痛みが強すぎて1枚も息子に

ツーショット写真を渡せなかったことに

対する罪悪感、

離婚後、あるニュースで私と同じ

境遇の女性が娘の写真を

飾ってる一人暮らしの

部屋で孤独死したのを聞いて

なんとも言語化しにくいイヤな感情に

させられたことを打ち明けた。

 

そしたら康子さんが

写真という言葉が何回も

出てきたねと言った。

 

私はギクっとした感じがした。

イヤなことに触れられたような。

私は自分が写真に

やたらフォーカスしてることに

無自覚だった。

康子さんには私がムッとしたように

見えていたらしい。

 

康子さんとの会話で見えてきたのは

今の自分の部屋に息子の写真を

飾るのは惨めったらしいから

絶対したくないという自分の

苦々しいような痛みだった。

それをしたら、自分の惨めさを

認めてしまうことになる、

敗北感、

状況的に視覚化されてしまう、

それはどうにも避けたいみたいな

思い。

 

康子さんが、去年、自分も

家族の写真整理をしたとき

すごい罪悪感に触れて

直面させられたという話を

してくれた。

その後、娘さんの写真を飾ったけれど

しばらく罪悪感でなかなか

見れないところからだんだん

見れるようになり、一年くらい

かかって今じゃ平気になったよ、

解放が起きたよという話を

してくれた時、

何か自分の中のご法度を

緩ませてあげたいような気持ちに

なった。広がりを感じた。

 

そして、帰りにコンビニで

息子の今年誕生日に送られてきた

3枚の写真を現像し、部屋に飾ることに

癒しと緩みと自分をゆるすような

感覚が湧き起こって

優しい気持ちになった。

 

私にはこんなことは200%

ありえないことだった。

 

今、康子さんが私の部屋にいて

息子の写真が部屋に飾られている。

そして、それがすごく大きい

奇跡のように感じている。

 

 

 

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康子さんに降参する前日の私😂