昨晩からのサイレントの時間を

経て、朝9時半にエクスプレッション

をした。

 

康子さんが私の癒しの役に

立っている感じがしなくて

無力感、無価値感を感じてると

いうことだった。

 

 

意外だった。

康子さんのおかげで

息子の写真を飾ることが

できたことが私には大きな

穴が開いた象徴で

癒しになってるのに、

 

康子さんにはそれが

「ただ現像して、飾っただけ」の

小さな出来事にしか感じられて

いなかったみたい。

 

私がそれを話したら

康子さんが全然手応えがないって

言ったので、

ふたりで「、、だから、それで

いいのか。それが正解なんだね。

それを長野で私達は学ばせて

もらったんだよね」と笑った。

 

ふたりで祈ったら

今日も一緒に過ごす感じがすると

一致したので、

サイレントとアイコンタクトで

過ごすことになった。

 

私はこのブログを書いていて

康子さんは優しくて静かな

音楽をかけてくれて

私のベッドで横になっている。

聖霊がウチにいてくれてるみたい。

 

それと、「私の」とか

「れいさんの」自宅と

いうことではなくて

ジーザスが用意してくれた空間と

いうほうが自然な感じがするね、と

ふたりで話したことにいい感じがした。