忘れられないと言えば

康子さんが言っていた

聖霊への信頼を毎瞬間

命懸けでするというやつ。

 

仕事を辞めてから、

その重みを感じている。

 

仕事をしていて毎月

だいたい決まった収入が

あった時は、やっぱり

「こんだけ稼ぎがあるから大丈夫」って

どこか自力で安全、安心を

確保できてる感じがあったから、

信頼することに命懸けで選択し直す

ことが、精神的に追い詰められてる時

だけになりがちだった。

 

でも、今、全くの未知で

収入が入らなくなり、

これからどうなっていくんだろう?

 

24時間、ガンガン、不信が上がる。

 

今まで、お金に苦労したことがなくて

貧乏に免疫がない。

 

 

で、ガンガン不信浮上、

それこそほとんど毎瞬間

疑ってることに気がつかされる。

 

すぐ節約思考回路にスイッチ入る

ことがわかる。

 

でも、聖霊に尋ねると

たいてい「待った」がかかる。

 

例えばスキンケア用品を

今の愛用してるやつじゃなくて

もっとコスパのいいものないかなと

探し始めると、すぐストップかかる。

 

お金を使うことを恐れないで、と

言葉をかけられてるような。

 

「これ、なかなか額として

バカになんないよ?」と思うことも

あるけれど、

のりこさんも言ってるように

インスピレーションと

ガイダンスに従う一歩一歩なんだな。

そうじゃなければ、その分どっちみち

別の形で流れるって、納得。

 

信頼したいか。したくないか。

 

だったら、信頼したい。

 

順子さんとお金について

「この先、野垂れ死ぬかも?」

みたいな話をした時、

いやいや、自我は目覚めるより

むしろ野垂れ死ぬ方がマシだと

思ってるし、そっちの方がいいと

思ってるよね、となって

ふたりで笑った。

 

先月、中華街へランチに行った時

祈ってたら、

食べたい物で

お得なメニューを見つけて

聖霊のギフトだと思ったのに

順子さんが

「れいさんて、お得なものに

すぐなびくよね」と言うから

侮辱されたように感じて

ムカついた。

そのときはムカついてることを

伝えて終わってしまったけど、

なんでムカついてるのか

なみえさんに一緒に見てもらったら、

支払える者で

ありたいプライドだった。

人より多く支払える人でありたい。

借りるよりは貸せる人でありたい。

支払えることで勝ちたい。

施しを受けるより、私が

自分で稼ぎたい。。

 

なんかそういうのがあるなと

見えて、聖霊に捧げた。

 

「私の」ではなく、

ジーザスのものだった

と思い出すと、ホッとして

やっと力が抜ける。