2022. 1月葉山合宿(振り返り)

12月のリトリート後の折れた精神状態を思えば

1月の合宿やその準備に、その時の精一杯で

参加し関わることできたことは奇跡のように思う。

見捨てられてなくてありがたいと思うし、

歩みをストップさせなかった自分を

最大限認めてあげたい。

褒めてあげたい。

よく意欲を差し出したね。

頑張った。ありがとう、自分。

そして、みんな。

 

帰り道、まーちゃんとなおちゃんと

「みんなが抱えている闇が

金太郎飴みたいに同じだったね」と。

確かに異口同音って感じだった。

 

自分が無価値に値する証拠探しを

一生懸命している。

しかも喜んで

人の話を蹴飛ばしたり

ねじ曲げて捏造している。

 

私の場合はっきり見させられたのが

初日、かなり自己卑下と無価値感

まみれでエクスプレッションした時だった。

ラファエルに「心の準備ができてるから

そのようなことが起きているんだよ」

のりこさんからも「良いプロセスの

中にいるんだよ」というニュアンスの話を

されてるのに、急に言葉尻を捕まえて

別の話をしたい衝動にかけられて

話し出していた。

 

ラファエル、のりこさん、ポカーン。

のりこさんから指摘されたから

「あ〜!確かにそんなことしてる!」

と気がつけたけど。。

「私が無価値であることが正しい!」

それをここでお披露目させろ!と

息巻いてる自分をくっきり見た。

 

 

カメラの切り替えコントロールする係に

ついた時も。

つい話に聞き入ってしまって、切り替えが

遅れて、のりこさんに突っ込まれた時。

 

お約束みたいに無価値感を感じたけれど

それ以上になんか・・・

喜んでるみたいだと思った。

「腹一発目殴られて、あー、安心」って

言葉が浮かんだ。

(腹は別に殴られてないけど)

 

無価値だと証明できたぞ!って。

 

みんなから少し離れた場所で

薄暗い中、一人でするファンクションだったので

それが余計浮き彫りに見えたのかもしれない。

 

仲間達も「頑張ってるね。よくやってるね」と

周りから実際に声をかけられ、

励まされてるのに、

そこが何故か記憶から消去状態になっていて

「どうせ、できてない。

あの人はできてるのに。

あの人は癒やされてるのに・・。

私だけは・・そうなっていない」系のことを語る。

 

え?

さっき認められていたよね?

あなたは愛されているよ。

どうしてその解釈になってるんだろう。

 

みんな似たようなシェアをするので

「私もこれをやってるってこと?

・・・そうらしい」と感じられてきた。

 

夕飯時に、

どうも私たちは

I'm not enough festival

I'm unworthness festival

(私は無価値だ祭り)が

大好きなんだね〜!!

太鼓ズンドコ!

神輿わっしょい!

イエ〜〜〜イ!やってるね!

と全体で認識が起きて

みんなから笑顔が溢れたとき、

 

あ〜。

またバチを持って太鼓を

叩き始めようとしてるよ。

その瞬間にいつも気がついて

それを「もうええわ」って

やめていったら、すごいんじゃないか。

 

それ、やってもいいかも。

というか、ぜひやっていきたい、と

心底感じた。

 

去年3月にも、どんだけ自分が

被害者でいることが大好きで

それが初期設定になっているか

勉強会で体感を伴って教えられたけれど

合宿でみんなで同時に共振するのは

本当に力強くて、ありがたいことだと

胸が熱くなった。

 

 

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