静岡撮影

静岡での撮影は

東京と比べると

すごく夢っぽく感じて

不思議だった。

ラファエルは

アナザーダイメンション(別次元)と

よく表現していたけれど

私もここはどこだろう・・みたいな

感覚になることが頻繁だったし

それでいてデジャブもあり、

なんだかすでに知ってる経験をしてる

ような感じもあった。

 

闇もそれなりに出た。

撮影準備中に

7月から始まる撮影計画のことは

ちらっと耳に入っていた

(その時も動揺してエクスプレッション

したけれど)

静岡に行く直前の

のりこさんが投稿した

「7月にやっと映画のコアが

スタートしてアップサイドダウンが

訂正される」という主旨の

メッセージを読んだ時は

結構、重たい投影をしていた。

 

無価値感と欠乏感。

それに参加する

しょうこさんたちへの嫉妬。

自分がそこにいない疎外感。怒り。

悔しい。悲しい。

静岡撮影が否定されてる

ないがしろにされてる

軽んじられてる

なにか置いてきぼりにされる

奪われるという

被害者意識。

 

ただこの気持ちをダイレクトに

撮影初日にラファエルたちに

エクスプレッションするのは

躊躇があった。

恐さや負けたくないという

抵抗があって、

遠回しにしか表現できず

心に重たい石が

あるようだった。

 

それを別に頼んだ訳ではないのに

けんたさんが助け舟を入れてくれて

二人の前で心の内の闇をぜんぶ

打ち明けることができたことは

本当にありがたかった。

一度だけではなくて

時間をかけて丁寧に

取り組んでもらえたことは

本当に助けられた思いだった。

 

この旅で一番大きかったことは

周りの状況や周りの人達の気持ちに

関係なく

今の自分の感情や出てくるものを

スキップしないで

ノージャッジメント

今ありのまま

今いるところから

表現していい、

時間をかけていい、

「その価値が自分にはあるんだよ」と

いうことを優しい方法で

何度も何度も教えられ

納得させてもらえたことだった。

聖霊ジーザス、ラファエルと

けんたさんには本当に感謝している。