相手に合わせない

Xとは神聖な関係のためにお互いコースを学ぶことが前提で始まった。

 

それがいつの間にかじわじわと

そのやりとりに夢見を長引かせる

ための自我のお楽しみが

入りむことに寛大になり

またそれを自分が快楽の

ためにとても望んでいることがよく見えた。

 

恋愛ごっこを楽しみたい。

彼に合わせて降りていく。

優しくて、包容力があるかの

ような仮面をつけたい私。

 

神、一番?今の私のどこが?

 

 

最初は純粋に学びあう目的から

始まったやりとりに

性愛的な要素がメッセンジャー

漂うようになってから、

あれ??という違和感が多くなった。

 

彼がコースになかなか取り組まない。

取り組まない言い訳を並べる。

恋愛感情を満たしたい欲求ばかりが

見えて、たるんでる。

 

私はじわじわとイライラが募る。

 

そのときに、のりこさんの

“相手に合わせて降りていかない。

喜ばせない。相手に理解してもらう

必要もない。

妥協なく自分は神に向かう”という

言葉を聞いて、

 

ああ、私が真に望んでいるのは

それだ!と目が覚めた。

 

なんでも相手に合わせて

いいよ、いいよ、じゃない。

そして相手は自分自身。

 

そして、相手次第なのではなくて

私の決断次第なんだ。

 

そのときに見えたのは

彼に対してとっておきたかった

女性性。聖霊に明け渡すことを

ためらっていたのが見えた。

そして、もうそれを放棄したい。

結果、それで彼が気に入らず

さよならになっても構わない。

 

私は真剣にこれに人生を

かけている想いを彼に伝えたら

一時的に意思疏通が難しく

なったけれど、結果的に

たるんでいた空気が消えた。

 

そして、彼の中から学ぶ意欲の

高まりが現れてきた。

 

私はやっぱり自分が神に向かうこと、

これが何より一番、全体のために

なることを教えていただけたことに

とても感謝している。

 

のりこさん、ありがとうございます。