預言

主が言われます、我が愛する娘よ

私はあなたを愛していますと主が言われます

何か速度が遅いような、ものの状況の変化が遅いような、そうゆうように感じてもそれは停滞しているのではなく少しずつ動き出している、そしてそれは例えば家を建てるとき土台を作って地道な作業に時間がかかるようなこと。

でも、その土台ができるならば、後の成果というのは、家が建つのはあっという間に出来上がっていくように、

何か始まりというのは変化がないように見える、植物が育つのも土から芽が出るまで、卵も生きているのか生きていないのかよくわからないような時期があり、それが割れて、動き始め一気に大きく変化していきます。

 

準備の段階から始まっていて完成へと向かっている長いプロセスがちゃんとあると主が言われます。

だからこれが無駄であるとか逆行しているとか意味がなかったとか自分を責めてはいけないと主が言われます

今は目に見えなくても必ずや答えがあり、あなたに喜びを、成果があったとあなたとあなたの家族にその喜びを分け与えると主が言われます。

 

話して解決するということは難しくもありますが、コミュニケーションやその言葉やその言葉から始まるその一方通行のように感じる、話してもらちがあかないように見えるかもしれない、しかし小さな言葉のきっかけから

その言葉の一つから新しいことが起きる、私はあなたにその知恵を与える、勇気を与える、話すべきことを私はあなたにちゃんと与える

と主が言われます。

これがその話して相手の心の中に何か化学反応、変化が起きるならばその返事をちゃんと受け取る、今はまだあなたにはそれが見えないかもしれない。

しかしその心に蓄えられたものがまさになにか違った返答をあなたに与えようとしていると主が言われます。

仕事においてすこし厳しい難しいと感じる、そういうものに取り組まなければならないとき私はちゃんとあなたを支えると主が言われます

ひとつの契約やひとつのなにかをやろうとしたこと、やりはじめたことがあなたをそこにずっと留めさせるのではなく、それを経て次のところ、次のプロセス、次の違った立場へとつなげられていると主が言われます

こんなことをやっても何の足しにもならない、何の力にもならないとそう言わないで、これを通ってこの経験とあの経験とそれがあることのゆえに次に進むことができる。

そういった成長できる職場、成長できる環境を私はあなたに与えると主が言われます

ただ気がつかないで自分がやっているだけ、ただ時間が過ぎていくだけ、ということではなくそれが歯車のようにかみあっていく。

土を耕す耕運機、表面をさっさと浅く耕しているのではなくて、深い固い土壌を

掘り返している、取り掛かるにはちょっと重いし大変だけれど、でも成果もその分大きい、それをこれから体験していくでしょうと主が言われます。

緊張するところでも尚あなたの力を発揮することができると主が言われます