東京撮影

私の知覚では

ラファエルのその話は

前後の脈略関係なく

突然始まったように思えたけど

自分にとって、とても大事な

メッセージだった。

 

この映画プランが始まって以来

関わる兄弟たちが入れ替わり立ちかわり

変わっていったけれど

それが「誰か」なのかは重要じゃないんだ、、、

という話。

 

最初聞いた瞬間は

心がズンと重くなった。

「今、関わっているワタシ」さえ

あなたである必要はないと

言われてるように知覚して

無価値感が広がった。

 

私は重要人物視されたがってる。。

あなたこそ!と言われたがっている。

あなたじゃなきゃだめなんだと。

あなたにしか頼めない、とか。

そういうのを欲してる。

 

ああ、全然、全体の目覚めのため

にやってない。

恥ずかしいけれど、、、

いや、恥ずかしいなんて思ってんのか。

どや!くらいに思ってるんじゃないか。

「今のポジション、

獲ったどーー!」でやってる。

私のこの個人の特別性の強化のために

やってる。

 

ああ。。

前にのりこさんがそのあたりを認めるように

レポートを作ってくれたことが

あったけれど、まんまだわ。。

 

 

「外側から誰かがいろいろ来るわけじゃないんだ。

自分の内のスピリットから来るんだ。

だからスピリットにだけフォーカスしていたら

いいんだよ」

 

繰り返し

そのあたりの話をしてくれた時に

なにか解放感が広がり始めていった。

 

個の兄弟への執着ゆえの苦しみだとか

しがみつきだとかが

緩んでいく感覚。手放されていく感覚。

自由になる感覚。

 

この人がいてくれないと

私は困る!って苦しい。。

 

そこから自由になれる。

ありがたい。。

しかもそれは今、決断できる。

ありがたい。。

 

『私は神の愛によってのみ

支えられている』

ジーザスは私は神の愛によって

支えられてるとは言わず

神の愛によって「のみ」と

断言してる。

 

それがダブルで私の心のなかで

大きな光の柱になって現れたように感じた。