9月下旬のことでよく覚えていること。

 

ひとつの与える機会があったけれど、

私は最初、心が動かなかった。

その方法以外でなら、という

気持ちはあったけれど、

その方法、ということなら

疑いと抵抗があって、やってしまったら

先細るに違いない、これは私のもの、と

思っていた。

 

祈ってみても

今回は何もしない、

パスすることを

咎められてる感じが

しなかったし、

無理しなくていい、

とにかく

全く喜びを感じなかったので

そのままにしていた。

けれど

気になってはいた。

 

私は与えるということが

苦手だ。

 

無条件に与えて与えて与えまくりたい、

それが自分の幸せなんだって

心の底からクリアに言えたら

どんなに良いだろう。

 

でも、まだ「搾取される」とか

「なにか失う」「もうこれ以上

よくならず、入ってもこない」

「損失を被る」

「与える先は私から分離してる」

「与えても、最後捨てられる」

「信じたあんたが馬鹿」と

展開する可能性があって

守る必要性を信じてる。

それを信じていないと危険だとさえ、

信じていたいとさえ思っている。

私は無価値だからそれに値すると信じている。

 

 

それから、かなえさんから

そのことについて話を聞いて欲しいと

リクエストがあって、順子さん、昌子さんと

私もエクスプレッションして、終わった後

しばらくしたら

どういうわけかじわじわ

与えたいという気持ちが出てきて

最終的にぜひともそうしたいという

喜びに変わったときはすごく

驚きだった。

 

ここまでわかりやすく変わったのは

初めてだったかもしれない。

 

今回これを手放して気持ちが変わる

必要性があるとも思っていなかったから

180度変わったときは、

コントラストがとても大きく感じた。

そして、とても幸せで平安を感じた。

 

とてもありがたいと思った。

 

私はマイティコンパニオンたちに

すごく助けられたんだなぁ。

かなえさんからそのリクエストが

なければ、

みんなのエクスプレッションを聞く

機会がなければ、私のを

聞いてもらう機会が与えられなかったら

こうはなっていなかった。

 

そして、今回はなにもしないと

思っていた時とは違って

ひとつの繋がりを感じた。

 

これを感じさせてもらうことが

できて、ありがとうございます。

 

 

私はもっともっと与える喜びを

知りたい。

与え尽くすことが私の喜びだと

心底から混じりけなしに言える

幸せを知りたい。

どうか教えてください。

私はそれを望みたい。