2022.1月葉山合宿 DUNE映画鑑賞

合宿中、映画鑑賞すると

決まったときから

DUNEが良いなと思っていたので

それに決まった時は嬉しかった。

 

のりこさんとラファエルによる

開始前のコメントで、

これは聖霊と一緒に観れば

一生モノの映画になり得ると

聞いたり、主人公ポールが

絶体絶命の時も諦めず、

最後の瞬間まで

チューニングすることに命を

懸けることをきいて

エクスパンションしたし、

期待した。

 

でも、いざ見始めたら

イライラばかり。

 

ポールはできるけど、

私は無理だ。

 

なんだよ、壮大すぎて

私の人生にはなんも

参考にならねーわ、とか。

 

文句しか出てこない。

 

それを途中、エクスプレッション

する機会があったのでした。

 

ここでも、「私だけはだめだ祭り」が

したい誘惑に乗っていた。

 

今ものりこさんに言われた言葉が

響く。(ニュアンス)

 

ポールに対して

「おめー、そんな決断の場所に

いるんじゃねぇ」

引きずり下ろしたい欲望。

 

エゴと全く同一化しないことへの

腹立ち。

 

一緒に地獄に沈んでいたいから

そこに全くなびかない奴に対して怒る、

みたいな。

 

ポールへの投影は話したら

気が済んだけど、見終わった後も

自分の心の奥が怒っていて

ずっとイライラしていた。

 

なんで、怒ってるんだろ?

 

ポールへの投影よりも

もっと壮大なことへの

怒りっぽい。

 

私個人のこの細いコンパクトな人生を

捧げるのは良い。

(それもまだいやだけど)

 

でも、ポールのような

すべてを覆すような決断は

マズいって感じる。

 

この宇宙まるごと捧げるのは

聞いてないよ。

冗談じゃない。

 

「なにか」が本当に終わっちゃうじゃん。

 

私のこの大事な地球、宇宙は

終わらせたくない。

 

DUNE の中で

ハルコネン家(みたいな名前だった)の

スキンヘッドのボスが

「DUNEはワシのものだ」とか

「収益を搾り取れ」とか

言ってるのを見て、

というか彼の存在そのものが

私の心の底で鎮座してる感じ。

 

帰ってからも観たくなって

3回観てみた。

 

観るうちに登場人物が全員

自分の心のうちにいる感じが

してきた。

 

そして、砂漠も空も宇宙も。

 

で、ふと思う。

ポールは全体のことに気が

ついている。

前は、それが何か霊的に長けた

能力を得ている人のように

感じていた。

 

でも、なにもかも全てが

自分の心の内なら

全体で起きていることに

気がつくことは、

自然なことなのかも。

 

それを、

「いや〜、全体のことに

なかなか気がつけないんですよ

ね〜...困ったモンです」

と言ってるのは、やっぱり

しらばっくれてるってことだよね。。

 

今のところ、

ポールの決断や彼の全託の姿勢よりも

どちらかと言うと

まだ登場してない「皇帝」や

あのハルコネン家ボスの

この宇宙への飽くなき

夢見維持の欲望に

「おおぉ、、、」と

心の内で注視している感じ。